思い出話 Feed

2010年9月22日 (水)

「宮永んこと」

Dvc00013 桜の老樹です。旧中津保健所の中にあった桜です。100年以上たっているのではないかと思います。今は、豊田公民館になっています。春になると、花はきちんと咲く。幹を見ると、こぶがあり、ひこばえも生えて元気です。桜は、60年ぐらいで、枯れると言われているけども、頼もしいと思っている。猛暑の夏も乗り越えたようです。

2010年9月20日 (月)

「宮永んこと」

Dvc00007 中津の変電所。今は、田んぼをつくらなくなったが、この変電所の横を良く通って、たんぼにでかけたものだ。麦を作ったり米を作ったりだった。稲こぎのときは、父の横で、あしこぎを加勢した。人力である。麦の穂を台にたたきつけて実を落としたことも。田の草取りで、縦横に機械を押したこともあった。農業のきつさ。88の手がかかること。嫌になるくらい味わった。変電所も、昔に比べると大きくなっている。

2010年9月18日 (土)

「宮永んこと」

Dvc00011 宮永の七辻七曲がりの道しるべです。高瀬方面から中津城に入るには、宮永の辻を通らなければならなかった。城の防衛のためだったようです。Sさんとこの横に、ひっそりと立っています。玖珠から米穀、友枝方面からは、薪や木炭を運んだ。中津へ買い物にでかける村人もこの道を利用したのでしょう。ここは、藪があって、昼でも薄暗いところだったそうです。

2010年9月16日 (木)

「宮永んこと」

Dvc00014 近所の友達の家だ。学校に行くときに、よく立ち寄った家のスケッチ。まだそのころの家の姿が残っている。板塀、玄関の戸、すだれなど。友も3年前に亡くなってしまった。この家のところを、通ると、当時を思い出す。肩から提げるかばん、たかげたをはいていたなあ。

2010年9月14日 (火)

「宮永んこと」

Dvc00017 今は、こんな川の姿になっているが。近くだったので、子供のころ、泳いでいたんです。魚釣りもするし、もぐったり泳ぎもした。我が家の田もあったので、よくこの川には、行ったものだ。弁浄川と聞いている。面白い名前だと思った。コンクリートにかたまった川、便利はいいけど、魚も住みにくいだろうなあと思う。「後藤の川」と言っていた。

2010年9月12日 (日)

「宮永んこと」

Dvc00006 宮永には、大きな水車が回る家があった。今は、なくなっている。お米や、小麦などの穀類を、加工する大事なものだった。この川のそばは、魚の陰が多くて、子供たちの人気の場所だった。うどんや、いろいろな食べ物の餌が多かったのではないか。電気がまだないころは、大事な動力だったに違いない。ここの道を通ると、水車のあった敷地と川がなつかしい。同級生もいたっけ。

2010年9月10日 (金)

「宮永んこと」

Dvc00016 中津にラジオ局があった。子供のころ、ラジオ放送局が2丁目にあったのです。この建物が、そうです。高いアンテナが立っていたことを思い出します。NHKだったのではないかと思います。5,60年前のことだから。古くなった建物を見る度に、思い出すのです。鉱石ラジオがはやっていて、日の出町の電気屋で部品を買ったっけ。「こちらは、中津放送局です。・・・」かすかに聞こえる音に、みみをそばだてていました。トランジスターやICチップの時代に移りましたが、鉱石ラジオは、少年にとって不思議な世界でしたよ。

2010年9月 8日 (水)

「宮永んこと」

Dvc00008 宮永の中にこんな姿の家がある。実は、65年前、沖縄から帰ってこられた軍人さんの家です。立派な家でしたが、蔦がはい棟が落ちかけています。沖縄が決戦になることを予測して、上司からの命令で、中津に帰ったと言う話を聞いていました。ここにも、戦後があるんだなあと、思ってときどき横を通ります。65年もたつので、知っている人は、少ないでしょうね。

2010年8月22日 (日)

「宮永んこと」

Dvc00009 七辻七曲がり。宮永から栄町に出る最後の曲がり。カーブミラーが二つもある。危ない交差点じゃ。子どもんころ、同級生が死んだところじゃった。4年生?じゃったかなあ。この角の家は、お店じゃった。今は、この家は、なくなって更地になっている。

2010年8月21日 (土)

「中津んこと」

Dvc00060_2 島田仲町のお大師様です。豊後高田の椿堂弘法様の分霊をいただき、地元の人が建立したものです。お大師様は、線香の煙に包まれて、赤銅色に輝いたお顔を見せています。参拝者は、あとを絶ちません。近くで、弘法様にお参りができるので、とても喜ばれているようです。豊後高田の椿堂には、コルセットや、装具が、治癒のお礼にたくさんがざられています。ご利益があるんでしょうね。